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営業の仕事をやっていた時の話

仕事の体験談

営業の仕事は、置き薬やインターネットの切替、ウォーターサーバー、コピー複合機などいくつかやっていました。 楽しいと感じる時もありましたが、大変さを感じることも多くあり、そんな苦労の経験をしたなと思える頃をちょっと振り返ってみたいと思います。

置き薬のルート営業

大学卒業後、人のために役に立つ仕事がしたくて置き薬の営業の仕事をやりました。 置き薬とは、薬箱を家庭に置かせてもらい、薬を使った分だけ精算するというシステムです。 100件くらいの顧客を抱えて、その顧客を順番に回っていきました。

自社キャンペーンの営業に気乗りしない

基本的には薬の精算と補充が主な仕事なのですが、自社制作のサプリ商品があり、それを個別に販売するというのが営業らしいところでした。 私は純粋にお客さんの健康に貢献したり、接客することで喜んでもらったりしたら嬉しいなくらいに思っていたのですが、自分が思っていた以上に自社製品の販売数を会社から詰められました。 言うほど体育会系ではなかったですが、毎月目標を立てたりそれに対してどう改善していくかの繰り返しをしていく訳ですが、先述した通り、私は純粋にお客さんのために仕事がしたかったので、そんな自社よがりの方針に対しては気が乗りませんでした。

営業事務

営業という仕事はもうやりたくないなと思って転職したのが事務職です。 某放送局の営業事務でした。 派遣でしたが、売上管理や稟議書の作成など、結構重要なことも任せてもらえてそれなりに充実感がありました。

インターネットの切替営業

もう営業の仕事はやりたくない...と思っていたのですが、海外留学をしたくてお金が必要になりました。 そのまま派遣で仕事をしていてもいつかお金は貯まるのですが、そんなに悠長に待ってられない!と思い、それなら営業で頑張って一気にお金を稼ごうと言う発想をしていました。 当時の私は、稼ぐイコール営業で歩合給、みたいな発想しかありませんでした。 そんなこんなで気づいたらインターネットの切替営業に挑戦していました。 この仕事は離職率がトップレベル!とネットに出ていました。笑

当時私がやっていたのは、NTTのフレッツ光を使っているお宅に訪問してKDDIのauひかりに切り替える契約を取ってくると言う内容でした。 営業任地は毎月変わり、代理店からもらうエリア(地図)の中の個人宅を訪問して営業すると言う形でした。

リーダーも頑張った

もうこれしかお金を稼ぐ方法はないと腹をくくっていたので、一生懸命トークを覚えて、気合いを込めて回っていました。 それなりに実績も出て、半年過ぎる頃には6人チームのリーダーを任せられるようになりました。

地方への営業もあり、仙台や新潟、宇都宮、秋田などに遠征しました。 冬の仙台は雪が積もっていて、雪の中を自転車に乗って任地を回ったりしました。 夏は暑さと戦いながら、任地にあるコンビニやイオンなどで回復しながら頑張りました。

約1年半くらいで目標としていた金額を貯めることができたので営業はこれで終わりました。

コピー複合機

もうこれで営業は一生しないだろうと思っていたのですが、介護の仕事をやっていた時の話で触れたように、結婚を期にしっかり稼ごうと決意して再度営業の仕事をするようになります。 その時はコピー複合機の営業をやりました。 電話でアポを取って訪問するスタイルで、アポが取れなければずっと電話をかけ続けるしかありません。 アポ取りがしんどかったですね。。 営業の仕事は0か100みたいなところがあって、結果がなければ何もしてないことと一緒ぐらいの雰囲気はあるので、実績を取るしかないのですが、結果を出してもまた翌月には実績が0から始まるので、メンタルが相当タフか最強のモチベーションでもない限り営業は続けられないと思いました。 結局コピー機の営業は3ヶ月で挫折しました。 期間は短いですが、自分でもよく頑張ったと思います。

プログラミング未経験でITの世界へ

人生で何度も営業のしんどさを経験しながら、でも他にスキルもなかったので、お金を稼ぐには営業で実績取るしかないと思っていました。 そんな折に、知人の知人(まぁ他人ですね)がITの会社の経営者をやっていて、そこで人を募集していると言う話を聞いて、プログラミング未経験でも入れると言うことだったので、ITも経験して見るか、、くらいの感じでやってみることにしました。 その話は自己紹介で話していますので良かったら見てください。